小心状態

ショウです。

悪い言い方をすれば、小心、なんですよね。でも、それは時と場合による、ということは自分自身がよくわかってる。自分が苦手とする環境、状況では、自信がなく、落ち着いて考えられなくなって、些細なことでビクビクしてしまう・・・

以前は、そんな自分を否定して、なかったことにして、堂々と見えるよう振舞っていました。それで自己暗示がかかってうまくいくことも多かったです。もちろん、事前準備は綿密にやりますしね。

でも、この「小心状態」は、治るものではないし、治さなくていい。今はそう思っています。

治さなくていいけど、なるべく落ち着いて、あせらず、少しでも収まるといいなとは思っています。

結局、周囲の観察をしてしまうのですが、同じ状況でも、あの人はそれほど痛手を受けてるわけではなさそうだ・・・とか、これくらいのこと、いつものことなんだ・・・とか、周りからすこしずつ、状況を学んでる途中です。

慣れていないと、自分だけが出来ていないように思えるので。それが苦痛だったりね。

焦る必要はない

ショウです。

今朝から不安に苛まれて落ち着かない気分でした。業務のチャットツールには未読が100以上あったし、なかには、私の対応不足だったのか・・・?(ドキドキ)というものも。

仕事がてにつかないまま、ぼうっと、時間だけが過ぎ。そんなとき、「転職後 仕事できない」みたいなワードで検索。こちらの記事に心が救われました。

hiroro-gu.net

 

とくに、このあたり。

転職先においていきなり「先を読んで行動する」って結構、危険だということがわかりました。

 私は先回りしていろいろと考えてしまう方だし、さらには、周りとの違和感のない進め方もすごく気になってしまって、「これでいいのかな?」と、どんどん焦りがち。

いったん、それほど気を回さなくてもいいのか・・・、わからなくて不手際があっても仕方ないのか・・・と、ちょっと気が楽になりました。

要は、見下されることへの恐怖なんですよね。それが自分のなかで、まあ、こんなもんでしょう、と思えればいいのですが。

このブログについて

ショウです。

心がはちきれそうで、このブログを始めました。基本、前向きなことは書かないです。愚痴の吐き出し先です。

タイトルの「HSPなのかな」というのは、いわゆるHSP(繊細すぎる人)からきています。私、HSPなのは間違いないのですが、決めつけて、その概念に閉じこもるようになりそうなので(私自身の性質として)、少し距離を置いています。

日常では、もっと鈍感になれたら楽なのに・・・と思うことばかりです。痛いし、苦しいです。どうしたらいいのかな?

自分はどうしたいの?と問いかけても、基本、仕事辞めたいよね・・・笑

今朝もアラームが鳴ったときに、「やだあああああーーーーーー!!!」と、心の叫びが。それを無視して起きたけど。こんな気持ちで毎朝、って、みんなは普通なのかな。

お盆休みまであと5日。

自分が自分を貶めないように

ショウです。

社会生活から5〜6年間、離脱して、2020年5月から会社勤めに復帰しました。ようやく3ヶ月が経ちました。でも、どうにも辛い・・・

会社の仕事をしていると、自分の言葉が失われていくようです。何がよくて、何がよくないのか、自分に基準をもてず、かといって、仕事は自分ですすめなければいけないので、自分のなかで、板挟みになります。

つい先日も、偉い人に仕事をプレゼンしました。のっけから、「もうちょっと考えたほうがいいんじゃないですか?笑えますけど。」と言われ、完全に戦意喪失。

考えた結果をプレゼンしているので、具体的な指示の形でフィードバックしてくれればいいのに、仕事を笑われて、胸が痛みました。仕事を笑う権利って、あるのかな?

なんどもこの一件を思い出し、昨夜は夜中に目が覚めてしまい、ふと行き当たったのが、「疎外感」。子供時代から、なんどとなく、突きつけられてきた言葉。

ひとりひとり、または4〜5人程度で会話する分には問題ないのだけれど、集団になったとたん、どうも、輪の基準にのっとれず、規格外の言動になってしまい、周囲から浮いてしまう。先日の上司のように失笑をかったり。

え・・・?どうしたらいいの?誰かおしえて・・・

そんな気分。

自分の信念で生きていけば大丈夫。そう思えていた時もあったけれど、それは、そんな私を認めてくれている人たちが周りにいる場合だけ。安全な空間だけ。

いまのように、リモート面接、リモート入社、まだ3ヶ月、誰も仕事をおしえてはくれない、という状況では、ただでさえ孤立しているのに、追い討ちをかけるように疎外感をプッシュ。堪えたな。

若い頃なら、「なにくそ!」みたいな頑張りもあっただろうけど、今はね。どうしてそんな心無い対応ができるのかな・・・?と、虚しさが先にたってしまう。

そう鬱っぽくならずに、カラッと対応できればいいのだろうけれど、それって、もう私ではない。笑われた無様さをごまかすために自分も笑うなんて。それこそ心が病む。

今回の仕事への復帰は、私が私として生きていくためのもの。私の仕事をして、受け入れられないのなら、私が仕事ができないのではなくて、その環境に合っていないだけ。

自分が自分を貶めないように。なにはなくとも、そこだけは、自分が自分のために闘わないと。